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認められないと嘆いてい

わたしは確信している。
それは、自分自身がブロガーである人には、わたしのブログは響かない。どうでもよい。
写真が印象的だったとしても、内容ティストを既に知っている。
長くて読む気にまったくならない。
だらだら長文は疲れる。
そういうかんじ。

それがどうした?
いえ、どうもしません。
わかっていながら、アピールするのは徒労、無駄。
一番の理由は、長い記事は嫌われる。
それだけだ。

さて。
ここまで書いて、停滞していた。
アップしない日が続く。(といっても2日間)
やはり、人に読んでもらってナンボというブログ、なんだか哀しい。
ウケないお笑い芸人のようだ。
が、スベリに耐えなければ、何も出来ない。

世の中の才能がなく認められない芸術家は、自分では才能があるのに認められないと嘆いている。
芸術家だけでない。
才能を測りにくい。
自分だけでも楽しければ、生き甲斐になってよい。
たとえ悲しくても生き甲斐になってよい。
側から見れば、まるで理解できなくても、自分の糧になればよい。
認められたいなどと、とてつもなく厚かましい。
日本人特有の謙遜とか美徳とかではない。
本人は必死でも、周りとしては、わからんものは、わからんのである。

どこまでは許されるかを計算して、ギリギリまで攻め、尖ったエッジを効かせている、と評される若手タレントがいる。
ユニークな発声、発言の、あのanoちゃん。
時代が後から付いてきたかんじか。
そうではないと思う。
時代はもう進んでいたが、地下で生息していて表に出なかっただけだ。
地上波TVのCMや、NHK紅白歌合戦出演などで一般的に知られ知名度は上がっている。

今の時代は、やたら多様性を認める方向のものが多い。
今まで身を小さくして生きてきた人には生きやすい時代の到来、、、を目指しているようだ。 
それにしても、昭和人間のわたしでさえ隔世の感がある。
明治人間でアタマも身体もちゃんとして生きている人は、現在はほぼいないだろう。
(明治生まれ、最も若くて112歳)

バリバリの戦中派の姑に聞かせてあげたいものだ。
存命でも存命でなくても、聞く耳は持たないだろうけれど。
良きにせよ、悪きにせよ。

時代は進む。

着いて行っても、行かなくても、
着いて行けても、行けなくても。

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